なりたちと歩み

<農業を始めた経緯>
当農園は榛名山南麓、標高約400mのところにあります。ここに引っ越してきたのは20代半ばの頃で、当時は自分が農業をはじめるとは思っていませんでした。ここから会社に通う日々でしたが、趣味で始めた家庭菜園がとても楽しく、その頃から親戚の農家の田植えや稲刈りを手伝うようになり、漠然と農的な暮らしに憧れるようになりました。

しばらくして、旧倉渕村の有機農家の方が、「オープンファーム」というのを開催しているのを知り、参加してみることにしました。ちょうど人生に迷っている時期で、その有機農家の方の生き方にじかに触れることができ、そこで大変感銘を受け、農業の面白さに目覚めました。
月1回のオープンファームだったのですが、会社の休みを利用して週2回通うようになりました。農的な暮らしへの憧れは日に日に増していきましたが、会社を辞めて農の世界に入る勇気はなかなか持てず、月日は流れていきました。
そして、30代にさしかかったころ、母親が病気で亡くなりました。母の死をきっかけに、後悔をしない人生を歩もうと決心し、農業を始めることを決意しました。

<小さな循環型の有機農業>
会社を辞め、オープンファームでお世話になった先ほどの有機農家の方の元で、研修をさせていただくことになりました。会社を辞めたことを話すとその農家の方はとても驚かれましたが、親身になっていろいろ教えてくださいました。

研修に行くまでは、養鶏をすることを考えていませんでしたが、その農家の方が養鶏をされていて、養鶏をすることによって循環型の農業ができると感じ、自分も養鶏をしようと思いました。
なぜ養鶏をすると循環がうまれるかというと、たとえば、米を作ればたくさんのもみ殻がでます。野菜を作れば、出荷できないような規格外のものや虫食いのものが出ます。そういうものを廃棄するのではなく、養鶏に再利用(=循環)することができます。そして、鶏が出す鶏ふんを畑(一部の畑です)に使うことができます。どこで何を食べているかわからない家畜の堆肥ではないので、安心して使えます。また、鶏のエサに必要なコメやヌカは地域のお米屋さんから、鶏の健康のために与える発酵飼料で使うオカラは地域のお豆腐屋さんから、身近なところから買わせていただくことで地域の循環にもつながります。地域の未使用資源を使うことで、小さな循環が生まれていくと思いました。

<農業は暮らしそのもの>
農業を始めるにあたって先輩農家の方から、「農業は暮らしそのものだよ」と言われました。その時、衣食住のライフスタイルそれ自体が農業なのだと理解しました。また、「農家は100人いれば、100通りの形がある。100人100色だ」とも言われました。つまり、人によって農業のスタイルが違い、人によって暮らし方が違うということだと思いました。
そして、自分がどんな農家になりたいのかと考えたときに、仕事と暮らしが連動し、自然と共生していく農家になりたいと思いました。

<循環型の暮らしへ>
やはり農家なので、暮らしの中心は食になります。日に3度ある食事、日々の食事が日々の暮らしでもあります。自分たちが栽培した野菜、お米が中心となって食卓にのぼります。味噌を仕込み、梅干を作り、乾物など(切干大根、干しイモ)の保存食を作り、鶏の産んでくれた卵からマヨネーズやプリン、・・・。自分一人では栽培だけでしたが、結婚し、家族が増え、畑と食卓がつながりはじめ、暮らしが循環していくようになりました。

震災後、エネルギーの問題に取り組んでいくことも重要だと考えるようになりました。自分たちの暮らしの中でできることはなんだろうと考えるようになりました。
その取り組みの一つに、薪ストーブがあります。この近くには榛名梅林と箕郷梅林があり、梅の木が豊富にあります。毎年剪定が行われるので、大量の梅の木がでます。その梅の木を梅農家の方に譲っていただいて、薪ストーブに使用し、暖をとっています。
梅の木が欲しいと声をかけるととても喜ばれますし、身近な未使用資源を使うことで、より循環型の暮らしにつながっていくのではないかと思っています。

<こころね農園の名前の由来>
正式名称は、『榛名心根協働農園』といいます。通称、「こころね農園」です。
就農するにあたって名前をあれこれ考えていたのですが、その中での自分のキーワードが「働」だったのです。農業の仕事を一生の仕事として一生懸命働いて生きる、自分の持っている全エネルギーを農業に捧げる、そんな思いを込めました。そして、「家族労働」という言葉も大切だと思ったので、家族が協力して働くという意味で「協」の字を入れました。

研修中によく「誰々さんの野菜は誰々さんらしい味がする」、と言われました。その野菜を栽培した人の人間性が野菜の味に表れるそうです。その時、野菜を育てると同時に自分の心根をしっかり大切に育てなくてはいけないと思い、「心根」と名付けました。
野菜の栽培技術を向上させていくとともに、自らの心根にも目を向け、まっすぐしっかりと根を張れるように、畑を耕しながら、自分自身も耕していけるよう頑張っていきたいと思います。

<ロゴマークについて>
ロゴマークは、上記に書いたような農業や暮らしへの思いを込めて作りました。大きな木をモチーフにした大きな円、その中に描かれる野菜やお米、ニワトリ。その円は円卓でもあり、循環を意味する円でもあります。自然に抱かれた大きな循環の中で、1歩1歩、自分たちの暮らしを作っていきたいと思います。

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2008年
5月 会社を退職。オープンファームで通っていた元倉渕村の有機農家の元で、
   半年間研修をさせていただく。

2009年 就農1年目
1月1日、晴れて農家となる。
7月 嫁と出会う。

2010年 就農2年目
7月24日 4ヶ月かけて育てたトマトが、突風で一瞬にして全滅し、くじけそうになる。

2011年 就農3年目
1月1日、入籍。結婚して新チームとなる。
2月 こころねソングができる。

2012年 就農4年目
1月 薪ストーブを導入し、より循環型の暮らしに近づく。
2月 和生(わかき)生まれる。
12月 トマトハウスを建てる。

2013年 就農5年目
1月 ココロネタイムスの発行が始まる。

2014年 就農6年目
3月 NHK「小さな旅」に出る。
3月 トラクターを購入する。

2015年 就農7年目 現在に至る

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こころねソング    (グリーングリーンの替え歌です) 

ぼくらは心根協働農園チームさ
心の根っこを大事に 働いて暮らす
レッツゴー 畑に行こう 青空の下
レッツゴー 畑に行こう ともに汗をかこう

ある日妻と二人で 語り合ったさ
ともに働く喜び それが生きるってことを
レッツゴー 畑に行こう 種まきに
レッツゴー 畑に行こう 収穫に

ある時嵐に見舞われ トマトが全滅
厳しい自然の現実 心がくじけた
レッツゴー 畑に行こう また日は昇る
レッツゴー 畑に行こう 新たな芽が出る

ある朝ぼくら目覚めて そして知ったさ
つらく苦しい時にも ラララ 仲間がいると
レッツゴー 土と水と森と川と海と
レッツゴー みんなで生きよう すべてのいのちと

作成:2011年2月26日
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